おとなのいじめ
子供たちを苦しめる、いじめ問題が巷間問題視されるようになって久しい。認知症の母が昔、「いじめは今にはじまったことではない。ただ目立つようになっただけだ」とよく言っていた。
いじめが目立つようになっただけだ、というよりもむしろ、無自覚ないじめが増えたせいではないか、と私は思っている。子供たちのいじめ問題がなくならないのは、大人たちの無自覚ないじめ問題が増え続けているからではないか、感じている。大人がいじめを公然と無自覚にやっているのを子供たちは真似しているだけではないか、と思わずにいられない。
具体的には日常の買い物だ。私も何か買うときについつい安く買おうとしている。まるで少しでも安く買うことが美徳かのように。また、あらゆる企業の仕事の現場で複数の見積もりをとり、コスト削減することを推奨している。経済合理的な活動は正当化されているのである。
昨年流行った『半沢直樹』の自殺した父は町工場を経営していたと記憶している。よく聞く話ではあるが、国際競争が激しくなる中、コスト削減にたちゆかず、廃業したり倒産したりする会社は少なくない。追いつめられ自殺する経営者もいる。そのような状況を「下請けいじめ」と呼ぶ場合もある。
翻ってその原因の一つに私たちの購買行動があるのではないか。私たちが少しでも高く買おうとすれば、「下請けいじめ」は減るのではないか。ご商売をしていて値切られて「やだな」と思った方はいるのではないだろうか。日常生活で少しでも安く買おうとする私たちの気持ちが町工場の経営者の自殺につながっていなければよいのだが、と思うのである。